【体験談③】計算力ではどうにもならない時が来る【10歳の壁の向こう側】

小学生時代③計算力ではどうにもならない時が来る~10歳の壁の向こう側~ BLOG
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学年が上がることに出来る子・出来ない子の区別がそれとなしに分かっていきます。

算数において、基本的な計算は3年生ですべてを習い、それ以降の学年は発展的な内容へと進化していくのです。

その分岐点は10歳の壁、と名付けられ、浸透しています。

Kindle出版しました。Unlimitedでも読めます。

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学力差が明白になる高学年

低学年、そして3年生まではなんとか自主勉強の習慣がない私でもそれほど困らない平和な小学生生活を過ごしていました。

しかし!、国語はのらりくらりとテストの点数はとってくるものの、算数が計算力だけではどうにもならない壁がせまってきました。

そいつの名は割合

計算する前にひと手間もふた手間も頭を使わせるヤツ。

野球の首位打者争いの新聞記事を読んでボンヤリと理解できたようなできないような、の繰り返し。

値引きの問題を思い浮かべながら、スーパーで二割引きの菓子パンと睨めっこをして自分の持ち金で足りるのか頭をフル回転したりと試行錯誤しました。

簡単な問題ならなんとかなりましたが、ひねった問題となると万歳、お手上げ。

結局、公文の算数で培った計算スピードを柱とする算数への自信は学年が上がるとともにガラガラと崩れていきました。

計算スピードだけじゃ勝てない世界に突入

冷静に自分の弱点を振り返る小学5年生はなかなかいないように、私も???の世界に突入。

この時点での勉強の習い事は一切やっていません。

10歳の頃のことです。

小学校の吹奏楽部(学校に楽器があり、購入する必要もなく月謝も二、三千円程度)の活動に夢中になっていました。

それまで幼馴染と違い、ピアノや習字、スイミングという華やかな習い事とは無縁だったので、のめり込みましたね~。

母も4人目の子供誕生の1年後からパート勤めに行き、夕方近くに帰ってくるので、勉強にはノータッチ。

以前にも増して私は宿題はさぼる・相変わらずドリルも真面目にやらないという勉強しない子どもモード全開

それでも日曜日の図書館通いは継続していました。母の唯一のストレス解消が読書でしたし。

タイムマシーンでその頃の自分に会えるのなら、炭酸を控えてポテトチップスの食べ過ぎはよくないこと、今は肥えているが通学時間がかかる中学生になったら自然と体重が減るから心配しないで、と伝える他に、もう少し勉強をコツコツしていたら後が楽だよ、と言いたいです。

それくらいダメダメ女児でした・・・。

あの子よくできるなと認識する

なんとなく、出来る子・出来ない子ははっきりと分かってくるのが4年生。

この学年が、クラス内で本格的な学力差が表面化する起点です。

ちなみに、その頃家庭に浸透してきたテレビゲームは、台所事情からして我が家にはありませんでした。

算数の点数が下降の一途をたどるのとは反対に、社会の点数はアップしていきました。

これまで見えなかった学習漫画の力がようやく発揮されたのです。

歴史の内容だけでなく、地図の縮尺もそれほど難しい計算ではないのでOK!!

日本の産業の内容も教科書を覚えればスラスラ解けます。

コンビナートや工業地帯がなぜここにあるのか、という記述問題も普通に書くことが出来ました。

こうして高学年では、社会の成績が淡雪のような自信の中核を担うことになったのです。

理科が壊滅状態

実験楽しいな、観察日記は適当に書いちゃえ、という程度だった理科も当然のことですが学年が上がるにつれて内容が高度になっていきました。

アルカリ性と酸性は分かりやすいので余裕でしたし、太陽や星などの天体系は私自身が好きだったので、授業も楽しかったです。

が、、アルコールランプの使い方・フラスコの扱い方を問う問題がテストに出始めるとだんだん苦しくなってきました・笑。

人間、誰しも、興味がある・なしで左右されるのと同じです。

6年生の時にコッソリ捨てた理科のテスト

晴れて6年生に進級した時が理科の底でした。

当時は全く興味のない植物のめしべおしべの内容の時は全くのお手上げ状態。

確認テストでは20点30点と言う今だ親に言えないような点数を取ってしまいました・・・。

家に持ち帰るのもいやなので、掃除の当番が教室だった時に、ゴミを捨てるよ!と率先してゴミ袋をまとめるさいにぐちゃぐちゃに丸めてポイッと捨てて証拠隠滅をしました。

まるで漫画の世界です・笑。

勉強する習慣のない私は、自分の日頃の駄目さを棚に上げ、勉強への自信を完全喪失する事態になりました。

理科の無残な点数がこれでもか!!、というほどへし折ってしまいました。

勝手に勉強半グレした私を少し動かす出来事がありました。

何も考えずに過ごせた小学生最後の夏休みが終わり、学校が再開したまだ暑さが残る頃のこと。

クラスで大学付属中学に受験をする人がいると無頓着な私の耳にも入ってきました。

その子はサッカー部に入っていた男児で、親が熱心だとは母親から聞かされていました。←こんな情報、子供には役に立たないのに・笑。

町内でもNo1,2のお金持ちの某家の子供達三人全員が通っている学校です。

小学生だけど塾に通う・家庭教師にみてもらう、ということで授業の合間もその男児は勉強していました。

ヘラヘラしている私を見て、オレの大変さなんか(勉強のできない)お前に分かるわけないよな~、と馬鹿にされたように言われたこともあります。

悔しくても、その通りなので言い返せませんでした・・・。

結局、その子は努力もむなしく不合格となりました。

それを知った時は唖然茫然の一言です・・・。

あれだけ勉強しているのに合格できないんだ、受験って、と。

卒業目前。焦る私。恩師の言葉を信じる

秋の遠足も終わり、文化祭で吹奏楽部の演奏をしたり小学校のイベントが残り少なくなってきました。

周囲では中学校の制服を作りに行った話が出てきたり(私はお下がりなので作らず・苦笑)、私立中学校に進学する生徒(上記の男児ではなく)もいたりと、クラスのみんなが未知の世界、中学進学へ心動かされ始めていました。

私にとって、中学進学で一番の懸念材料は父方の従弟の存在でした。

隣の小学校に通う彼の家はそれなりに裕福で(底は脱し、父は知人の紹介で定職に就いたとはいえ、学校でも8~9割の家は我が家より裕福の部類に入りました)、よく出来る子だと母から聞かされていました。

(我が家は貧乏過ぎて、父方の親戚から近所であっても食事会の集まりとかに声をかけられたためしがありません。お金がないを知っているから、あえて声をかけなかったのだろう、と今は良い方に解釈しています)

彼はきっと中学生になったら塾にも通うのだろう。出来る上に通塾する。

私ときたら勉強も放置し、グータラ生活を送る。理科なんて20点、30点。

あ~、お母さんは悲しむのだろうな。比較されて・・・。

小学6年の初冬 中山まち子の心の叫び

クラスメイトには中学生の兄・姉がいる子もいます。その子たちが口々にこう言うのです。

「中学生になったらね、クラス順位とか学年順位が分かるんだよ」

「出来る子・出来ない子は薄々感じるらしいぞ」

その言葉は私にとって、脅しにも似た恐怖でした。12歳、卒業目前。勉強しなくても明確な順位など今まで存在しない世界。

あるなら徒競走の順位くらい。徒競走でもいつもビリ争い。勉強の世界で勝つ自信などこれっぽちもありません。

私の人生を変えたN先生の一言

暗澹とした思いを抱えたまま迎えた2月。5,6年の担任の先生である、薄い茶色のサングラスをかけた強面のN先生が私に声をかけてくれました。

掃除の時だったでしょうか。

「オイ、社会得意だろ。社会が出来るヤツはな、他の教科はなんでも出来るはずなんだぞ。中学校で頑張れよ」

予想していない言葉に私は、「は、はい!」、と返事するのが精一杯でした。

この何気ない一言は、うだつの上がらない女児だった私が成績上位者と変身するきっかけとなったのです。

無邪気に先生の言葉を信じ、中学生になったらきっと勉強ができるに違いない。

そうだ、私は社会が出来るんだから何だって出来る!!、と強い気持ちを持たせてくれた魔法の言葉でした。

3人の子供たちも、N先生のような良き先生に出会うことを心の底から願っている私がいます。



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