今回は【子どもの学力 成績が伸びないのは親のせいなのか】と題し、お話していきます。
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ありがとうございます。
子どもの学力は親の影響が大きいと言われています。
経済力などもそうですが、お金があるからといって必ずしも高い学力になるとは限りません。
やはり、家庭の教育方針や子どもへの接し方、家庭内環境などが整っている子ほど学力が伸びやすい印象があります。
一方、なかなか成績が伸びない子は【親が教育に関心がないから】と言われることがしばしばあります。
子育ては親の方針の違いがかなりあり、家庭の考えでどのような子に育つのか、またはどういう経験をしていくのかが決まっていきます。
私自身、小学生の頃は親が勉強面でのサポートをしなかったため宿題もほぼやらず、家庭学習もやらずに成長していきました。
一方、幼馴染の親は家庭学習に力を入れていて、家に遊びに行くと『今勉強しているからもうちょっとまっててね』と言われることがありました。
その時の私は『お母さんが勉強の管理をしていて大変そうだな』『勉強させられて友達は息苦しさを感じていないのか』と自分とは真逆な友達の境遇を可哀そうだなと思っていました。
しかし、成長していくと『子どもの学習面のことを気にしない親の方が問題ある』と思うようになりました。
学年が上がり、私と同様に勉強嫌いなこの中でも、とくに本などを全く読まない子達はクラス内で『勉強が本当に苦手な子』という立ち位置になり、少し恐怖を覚えました。
私は、母親が本好きということと、経済的に厳しい家庭でしたので休日はほぼ図書館で過ごしていたこともあり、小さい頃から本に親しみ、そして学習漫画も大量に読んでいたので知識や雑学的なものは学力上位層の子と同じ程度あったと思います。
勉強面をちゃんと頑張っていれば、もう少しまともな小学生時代を過ごせたのではないかとは思いますが、こればかりは仕方ありません。
親となった今は自分の両親の子どもの教育への関わり方を振り返ると、『いやいや、あれはないでしょう』という結論に至っています。
このように、親の影響というのは絶大です。
どのくらい影響があるのかを改めて考えていきましょう。
1.家庭学習のスタートは親の心がけ次第
まず、子どもの乳幼児期に行われる親の我が子への教育的な行動は『読み聞かせ』ではないでしょうか。
読み聞かせは親子の触れ合いの時間を作るという、親子の信頼関係構築にもつながりますが、語彙獲得や想像力や感受性を豊かなものにするという子どもの知能や精神面への影響も考えて『絵本をたくさん読む』と行動に移している方は多いと思います。
幼児期になり小学校入学が近づいてくると、椅子に座って授業を受けられるかどうかや、先生の話をちゃんと聞いて指示通りに動けるかということも気になってきます。
『小学校に入ってからのこと』を考えて、家庭で幼児向けのドリルを購入して集中して勉強することに慣れさせていく意識というのは、家庭によってあったりなかったりします。
入学する前から漢字や九九を覚えさせる熱の入れようの家庭もある一方で、『ひらがなの読み書きができているし』と特段なにもしない家庭もあります。
年中や年長さん頃から家庭の教育へのスタンスはかなりの開きがあり、小学校入学後にもこの考え方が影響して子どもの学力差を生み出す要因にもなってしまいます。
親があまり教育に熱心ではない家庭の子で、子ども自身は好奇心旺盛で学びたいという気持ちが強くても、6歳や7歳の子が勝手にドリルなどの教材を買ったり、図書館に一人で行って図書カードを作って本を借りるということもできません。
就学してから教材の購入や家庭学習の定着、宿題の確認も親次第です。
私の親は不思議な親で『教育は大切だからこれからの時代大学に進学した方が良い』『進学校に入るのが良し』というスタンスでしたが、子どもの勉強面をサポートする意欲が著しく低く、『小学生になったから全て自分の事は自分でやりなさい』という姿勢でした。
そのため、非常にちぐはぐな教育方針の下で育ったので、それはそれで苦しみました。
このように親の考え、子どもの教育に対する関心の有無がとくに幼児期の子どもにダイレクトに影響してしまい、結果としてポテンシャルは高い子のに上手く学力上昇の軌道に乗れない子もいるでしょう。
2.教養や語彙数は親の経験の違いが出る
子どもの勉強、学習週間のスタートラインは親の影響をダイレクトに受けますが、この他にも家庭の会話の質や文化資本も親次第です。
自分の小学校、中学校そして高校や大学や社会で出会ってきた人たちを振り返ると、学区の小学校と中学校では語彙力、教養など個人差がかなりあり、高校以降では学校の人たちの間での語彙力の差というものを感じなくなりました。
学区の小中学校では様々な家庭教育の下で育っている子ども達が集まります。
子どもの『小学校の子と話が合わなくなってきた』というのも、自分と同じような語彙を持ち、知識を持っている子がいないことを意味しています。
勉強に力を入れている家庭、運動に力を入れている家庭、あまり気にしない家庭とあり、家庭の文化資本も家庭によって様々です。
私の経験談になりますが、毎週のように図書館に行き、入館料の安い公的な博物館によく行っていたことも中学からの挽回につながったと思っています。
ラジオのトーク番組もよく聞いていたので、『こういう話題でよく出るフレーズ』というものが頭に残ったりと机の上の勉強ではないところで知識を吸収していきました。
こうした教養や語彙獲得は基本的に家庭での親子の会話の質を決めます。
子どもの語彙力は思いのほか早い段階から個人差が出てきます。
アメリカの教育機関調査から、高所得層と低所得層の家庭の子は3歳の時点で3000万語の語彙力差がある、と言われています。
3000万語というのは強烈な数字ですが、やはりどのような家庭で育つかで子どもの語彙や教養が身につくかどうか決まってしまうのは否めません。
塾で仕事をしている時も、同じ学年の生徒に同じ言葉でそれぞれに説明しても『意味が分からない』という子もいました。
語彙の差を埋めていくには本を読み、新聞やニュースを見て様々な知識と共に知っている言葉を増やしていく必要があります。
しかし、それは勉強とはまた別のことであり、本来は親子の会話で自然と身につけるのが理想的です。
語彙や教養は小学校低学年の頃はテストの点数に直接かかわってくるものではありませんが、学年が上がると知識や教養が豊富な子は知的好奇心旺盛で、『もっと知りたい』と調べることや学ぶことに意欲的になります。
もちろん語彙力があれば全てがOKではないものの、国語の読解問題や文章問題で書かれている言葉の意味を把握できるので勉強で『分からない』となることが少なくなります。
3.親が進学を望んでいなければ勉強が最重要にならない
この動画をご覧になっている方は、おそらく子どもの教育に関心の強い方だと思います。
成績が伸びないのは親のせい、と一言で済ませるほど子どもの学業不振などの問題は簡単に解決するものではありません。
しかし、親の教育への関り方と子どもに期待する学歴によって子どもの勉強への向き合い方が決まってしまいがちだというのはあります。
塾にいる時に、保護者面談をすると親が子どもに期待する最終学歴と、教育への熱量の違いが見えてきました。
学力がなかなか厳しいけれど可能であれば大学進学を目指したいと考えている家庭では、高校受験で指定校が豊富な高校を受験し、どこかの大学の指定校推薦経由で入学することを見据えていました。
一方、最初から大学進学を考えていない家庭では『とりあえず行ける高校を』というスタンスで、子どもの方も受験学年なのに進学校を目指す子と勉強に対する熱意が天と地ほどの違いがありました。
そもそも、生まれた頃から『子どもは大学まで進むかも』という考えで子育てしている親の子と、『とりあえず専門学校までいけばいい』と考えている親の子とでは、幼児期から教育への意識差が生じています。
これは子どもが成長すればするほど開いていくので、3歳や4歳頃から差が出ている語彙の数などを縮めるのは不可能に近いです。
ただ、子どもが成長して周囲の友達から刺激を受けて勉学に励むようになる子もいますが、幼児期や低学年で生まれた差を子どもの力で埋めていくというのはかなりハードなことです。
成績が伸びないのを何でもかんでも親のせいにするのはいかがなものかとは思いますが、やはり幼児期から低学年にかけては親の教育方針の違いにより成績に差が出やすくなります。
まとめ
子どもの学力差が生まれる原因は、経済力などがクローズアップされることが多いですが、経済力以上に親の意識差の違いが大きいと個人的には思っています。
経済力があっても、子どもの教育に無関心であり、読み聞かせもほとんどせず、家庭内の会話もあまり多くなければ語彙を家庭で鍛えることや、家庭学習の習慣の定着ができません。
成績が伸びないのは親の責任とする風潮は親を苦しめることにもなります。
しかし、親の考え方次第で子どもの学力がどうなっていくかという未来が握られてしまっているのは、元々学習意欲がある子どもにとっては酷なことだと思います。