今回は【学力最上位層の考えていることとは】と題し、お話をしていきます。
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小学校、中学校そして高校に進学をする流れの中で、中学から高校への進学は受験という子どもにとっても親にとっても大きな大イベントが待ち受けています。
大都市圏では中学受験熱が高いですが、日本全国という規模で考えると高校受験が人生初めての受験という子が圧倒的多数です。
さて、義務教育が終わることもあり高校進学をする際は受験があります。
受験校は一般的に子どもの学力と将来の夢を踏まえて決めていきます。
合格するかどうかを見定めるために、模試を受けて合否判定や偏差値と睨めっこをして受験校を決めて願書を出して本番に臨みます。
晴れて合格すると、ある程度学力の幅が決まっている高校でも最上位層と成績下位層が存在します。
つまりは学力グループが出来上がるわけですが、それは進学校でも同じことが起きます。
各中学校の上位層しか受けていないけれど、高校1年生の1年間でトップ層、ミドル層、ボトム層に分かれていきます。
その中でも、最上位層というのは綺羅星のごとき存在で、同級生からは神のようなものとして見られます。
とくにトップ高校であれば東大、京都大や国公立医学部医学科を現役合格するような子ですから【どんな頭をしているのか?】と思ってしまうことも多々あります。
とはいえ、そういう子達も部活に入って一見すると普通の高校生活を送っています。
時には恋愛することもあるでしょう。
ただ、勉強となると同級生を圧倒する結果を残すので【やっぱり元から違い過ぎる】と周囲は感嘆の声を上げるしかないという状況になります。
子育て中の親であり教育に関心のある方からすると、【特別な子】とみられる最上位層の子達は普通の子と何がどう違うのか気になると思います。
勉強すれば追いつくと思いがちですが、そんな単純に差が埋まらないような違いもあります。
運よく、我が家の子ども①②の友達にはそんな『特別な子』が複数人いますが、私自身が中学と高校そして塾で出会った特別な子と類似点がたくさんあるので、特徴などをご紹介していきます。
理解できないのが理解できない子もいる
まず、特別な子、つまりは神童とも呼ばれるような子は理解力がずば抜けたものがあり、その感覚が当たり前だと思っているところがあります。
つまり、【どうして周りは自分と同じようにすぐに理解できないのだろうか】と感じている。
その思いをうっかり口にしてしまう子もいますが、悪意があるわけではありません。
学力スキルが運動神経と同じように個人差があるというのを学校生活で感じさせるようなことを先生たちもしていないので、ますます学力上位層の子は【なぜ理解できない】と思うようになってしまうのではないか、と個人的には感じています。
運動神経の良し悪しは、体力測定テストや体育の授業、そして運動会でバレてしまいます。
とくに運動会のリレーの選手は【運動神経の良い子だけを選んだ晴れ舞台】になります。
しかも、大勢の親がいる前で披露します。
学校生活で特技を披露するというのはこのほかにも学習発表会のピアノ伴奏も同じかもしれません。
しかし、伴奏をやりたいと手を上げる子はピアノを習っている子であり、腕に自信がある子や人前で弾くのが嫌な子ではないと限定されています。
運動神経のように純粋に子どもの能力の高さを見せるというのとは少し違います。
運動神経の違いを見せつけると言っては言い過ぎかもしれませんが、同じことを勉強面でやると大問題となり、クレームの嵐になるでしょう。
ですから、理解力がずば抜けている子は自分と他の子との違いを把握できないまま成長しています。
しかも、両親、兄弟姉妹も同じような能力であると本当に学力スキルに差があるということを知らぬまま学校生活を送ることになります。
小学校や中学校で様々なタイプの同級生と接する機会がある中で、何となく【理解できない子もいるようだ】【理解力には個人差がかなりある】というのに気がついてきますが、それでも【どうして分からないのかな】という気持ちをすっと持ってしまう子もいます。
努力が『好きで勉強する』に変換できる
そして、学力上位層は理解力という個人差のある学力スキルの捉え方だけでなく、勉強する時に多くの子どもが感じる【努力しないといけない】という気持ちが違います。
多くの子どもたちは勉強という言葉を聞くと、嫌々ながらするもの、苦労してやること、努力をしないといけないもの、と考えています。
しかし、最上位層の子は勉強するのも努力しないといけないという義務感よりは【自分が知らないことを学びたい】【分からないことを分かりたい】と、学問的な感覚で勉強する特徴があります。
元々学力スキルが高い上に、学ぼうとする意欲があり、好奇心旺盛で分からないことや応用的な問題を嫌がらずに、好んで取り組んでいくので、どんどん学力が鍛えられていきます。
普通の子からしたら『どれだけ努力をしたら背中が見えるのか』というくらいの馬力で先を走っていきます。
塾で様々なタイプの子どもたちを教えていると、勉強嫌いな子は分からないことがたくさんあるので、【分かる】という状態にするのがとても面倒で、膨大に積み重なってしまった復習しないといけない単元と楽な方に流されずに勉強する時間を確保するということを目の前にして、逃げ出してしまいます。
しかし、そこまでではないにしろ分からない単元を少しずつ理解できるようになる子は【分かるということの楽しさ】を理解するようになり、少しずつ勉強することの楽しさを感じていき学習意欲がでてきました。
塾の先生が色々と試行錯誤を繰り返したり、生徒自身の努力もあって【勉強時間を増やすぞ】という流れを作るわけですが、最上位層の子は小学生の頃から自然と身についている子が圧倒的に多い印象が強いです。
スポーツ選手でも結果を残す選手ほど【今の自分よりも良い自分を】という考えで練習を励み、それが無理矢理やっているわけでも、嫌々ながら仕方なくやっているわけではありません。
身近に最上位層の子が複数人いる子ども①②も現在進行形で【どうしてそんなに勉強するのか不思議でならない】と感じているのですが、そもそも本人が【好きで勉強している】と思っているので、苦にならないのだと説明しています。
ライバルと異次元の戦いを繰り広げる
さて、最上位層の子は黙々と孤独な戦いをしているわけではなく、切磋琢磨するよきライバルがいたりします。
公立中学の場合、抜きんでている子が自分一人ということもありますが、高校に進学すると何人か校内順位や模試の結果を意識するようなライバルに出会います。
子ども①の友達もトップ高校の最上位層が何人かいるので、双方が子ども①を介して順位の確認、探り合いをしているようです。
【昔のハリウッド映画に出てくるような電話交換手のようだね】と子ども①に言いましたが、子ども①も【直接聞けばいいのに自分を介するから双方の点数や順位が分かるから参る】【天才同士の争うに一般人を巻き込まないで欲しい】と口にしています。
模試では県内で1、2位争いをし、定期テストでも1、2位争いを繰り広げていて【自分の点数が小さく見える】と子ども①は嘆いています。
ただ、そういう友達の成績や順位、そして実は人知れず努力をしていることも知っているので子ども①も色々と考え、刺激を受けて小中学生の時とは比べ物にならないくらい怠けることが激減しました。
持つべきものは友、という言葉がありますが、親としては子ども①の最上位層の友達に感謝しかありません。
ただ、最上位層の子達は自分の成績自慢を口にすることはないです。
自分の成績を言うのは本当に仲の良い子や、ライバル視している同級生に限定されるので、友達ではない子にとっては【宇宙人のような存在】になり、異次元な戦いの詳しい実情は【知る人ぞ知る】になりがちです。
ですから、【最上位層の子のこと】を知らない子はけっこういると思います。