最終更新日: 2018年5月9日

少しばかり、私の小学生時代をお話ししましょう。

仕事をしている時、みんな塾通いできるなんていいな~、と心の中で思いました。

そう、実家はそれなりに貧乏だったからです(←自慢にもならない・笑)

 

暗黒の小学校低学年時代

生まれ育ったのは北関東の某県某市。

高校生の時に道路拡張に伴う立ち退き&引っ越しするまで、某市の市街地に隣接する下町風情が残る古い町で生活しました。町内には駄菓子屋が二つあり、小銭片手によく二軒をハシゴしたものです。

その一方で、外車を乗り回す家庭はありませんでしたが、裕福層もいる町。

鉄筋コンクリートの広々とした二階建ての家や、引退したおじいさんが住んでいる、池に鯉が泳いでいる邸宅があったりとお金持ちの家もあれば我が家のように貧乏な家も混在する、社会の縮図のような町内でした。

 

昭和の高度経済成長期ならまだしも、私の就学した時期はちょうど時代はバブル前夜も前夜。周囲の家々が近代化されていく中、我が家は昭和30年代か、と突っ込みをいれたくなる掘っ建て小屋のようなおんぼろ貸家兼店舗に住んでいました。

中学に入ったばかりの時、隣の小学校だけど学区の境界線同士で実は近所、の同級生二人と帰っていた時、私の家はここなんだと指をさしたら、その二人は絶句してこう言いました。

 

「え~!!ここって人が住んでいるの?!」

 

どうやら彼女たちの間では、廃墟と噂されていたようです・・・。

リアルお化け屋敷ですよ、6人家族が普通に生活を営んでいるのですから・苦笑。

台風の強風に煽られ、テレビが映らなくなる度に屋根に上ってアンテナの位置と向きを手作業で調節したり。

また、夏の夜は怪しい虫が隙間からカサカサと入ってきたり、大きな蛾もどこからか侵入して大騒ぎしたことも開けっ放しの裏戸から野良猫が入ってきたり・・・。

とまぁ、色々伝説のある家屋でした。救いは「お風呂があることと、水洗トイレあり」だったことです。

もちろん、友人を家に招き入れる行為は厳禁。高校二年に引っ越しをするまで、友人は誰一人として我が家の畳に足を踏み入れた人はいませんでした。

父は祖父から継いだ自営業が合わないな~、と幼子ながらに感じていました。

客商売に不向きな内気で口下手な性格。体も弱いと思い込む・やる気もない。

休日はゴロゴロ寝てばかり。もし商売が合っていれば、こんなに貧乏ではないだろう、と子供が悲観してしまうほどの下手さでした。

近所の子供たちがしているピアノ・水泳はもちろんしていません。

ただ、唯一小学生低学年でやっていたのが公文の算数でした。

これは母親が家計をやりくりして全員通わせてくれました。

 

ある日、忽然と車が消えた?!

極めつけの想い出をお話ししましょう。

 

忘れもしない小学1年の初冬。「ただいまー」、と普通に帰宅すると車がなくなっていました。両親は在宅なのに・・・。

帰宅した私を見て、とにかく外に遊びに出ろ、と両親に言われるまま家を出ると、向こうから幼馴染の二人が駆けつけてきました。

友人A「ねぇ、引っ越しはいつになるの!?」

友人B「もうここにはいられないんでしょ!?」

私「はぁ~???」

二人の言葉に、一瞬思考回路が停止しました、いや本当に。

引っ越しって、子供に内緒で事を進めるもの?いや、そんなわけないよね・・・。

遅くても数週間前には話をする→学校に連絡→お別れ会を開く→みんなに鉛筆をプレゼント、の流れだよね・・・。

その後の記憶は定かではありませんが、どうやらその日に、もうこれ以上店を続けられないという話が数日前に夫婦で結論を出す

車を買い取ってもらう(オンボロ軽自動車)&取引先の人が数名来る

話が一瞬で町内に広まる

先に帰宅していた友人たちが自分の親から教えてもらった?

で、上の話。

兎に角、引っ越すことは回避しました。

というよりも、そこまでする必要もなかったと高学年になってから母親がこっそり教えてくれましたが、友人たちのキツイ?言葉には実は訳があります。

同じ町内会で・・・

前年の秋に同じように自営業をしていた家族が夜逃げをしたのです。

かなり遠くに逃げたらしい、と数年経ってから母親から聞かされました。

(←それでも私は小学3年生頃です。そんな子供に話す内容か?!、と子供①が当時の私と近い年になっている今、ちょっと母親としてどうなのよ、その言動と思うのであります・・・苦笑)

今大人になり、冷静に振り返ってみると、町内会の人たちは店をたたむのはどっちが先だ?!、というように見ていたのだと思います・笑。

こういう経緯もあったので、小学低学年のうちから我が家は貧乏なんだ、と理解していました。

恥じるとかの気持ちも通り過ぎるくらいでした(;’∀’)。

普通なら、思春期の頃にイヤになると思いますが、度が過ぎたからなのか小さい頃から達観していたおかげなのか、貧しいことに関しての反抗は一切ありませんでした。

東京の従妹からはお古だけど最新の文房具やソニプラで買ったという外国のお菓子、こっちでは絶対に手が入らないであろう、ある意味サイケな服が毎年二回(春秋)大きなダンボールで送られてきましたし。

今でこそ、東京に住んでいようが地方に住んでいようが、ネットがあるので最新のモノを購入するのに格差はありません。

バブル前夜~バブル時代を小学生として過ごしていたので、都会との差は従妹を通じで肌で感じました。懐かしい想い出です。

また、学研のおばさんをやっていた(←分からない方もいるでしょうね)叔母から在庫処分するしかない教育雑誌(科学の本だったハズ)を持ってきてくれたり。

親戚からは何かと優しい手を差し伸べてもらいました。

母方の祖母はいつも割り増しでお年玉やお小遣いを私たちにはくれました。

ちなみに貧乏子だくさんの言葉通り、四人姉弟です・笑。

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