中学デビュー大作戦は二宮金次郎の如く その① | 元塾講師 透明教育ママ見参!!

中学デビュー大作戦は二宮金次郎の如く その①

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なまけもの小学生が、心を入れ替えて華々しく中学デビューするぞ!、と思ったものの、現実はそこまで甘くはありませんでした。

さぁ、怒涛の中学時代の幕開けです。

 

kindle出版しました。unlimitedでも読めます。

完全に無料で読めるコミックエッセイです。

↓こちらはアマゾンの縦読みfliptoonです。

キンドルとは違う読み心地かなと思いますので、読み比べもしてみてください。

内容は一緒です!

透明教育ママの絵日記 教育系コミックエッセイだけど役に立つ可能性ゼロ【ブログ放置編】

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新作です。

kindleのジャンル別ベストセラー獲得しました!

ありがとうございます。

 

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いきなり市販の問題集を母が買ってきた

少し間があきましたが、前回までの管理人の子供時代の話はこちら。

 

子供時代①

子供時代②

子供時代③

4月の入学式も無事終わり、吹奏楽部への入部も済ませた5月の連休明けのこと。

ヘトヘトになって家に帰ると、見慣れない本が夏仕様になっている掘りごたつの上にドサッと置いてありました。

「はい~??」

私の声を聞いた母は台所から顔をだし、当然という表情でこう言いました。

 

「中間テスト、近いでしょ」

人は、本当に怒っている時は冷静に、かつ無表情で相手に話すものです。

母の丸顔が般若の形相をしていました・・・。

中学生になったら心を入れ替え、勉強するぞ!、と意気込んでいたものの、長年の悪習慣が綺麗さっぱりなくなるはずもありません。

 

中学校に行く

部活が本格的になり、帰宅後もクタクタに疲れて放心状態

ラジオで野球を聞きながら、適当に宿題をやる(少ない)

風呂&ご飯

就寝

その繰り返しの日々に母なりに怒りを覚えたのでしょう。

その結果が問題集の購買運動でした。

パラパラっと、ページを見た私。

「うわ、使えね~」

心の中で叫んでしまうくらい、学校の教科書とはかけ離れたもの。

レベルもちぐはぐ。

定期テスト対策のために、適当に手にしたことは明白・・・。

 

とりあえず、受け取るしぐさをしつつ、3畳の和室にある、就学直前に祖母が買ってくれた学習机の棚にポン、と置きました。

そして、中間テストはもちろんのこと、母が買った問題集はそのまま永い眠りにつくのでした・・・。

 

人生初の順位に驚愕!!!

それなりに、学校のワークを何度も解いたりして、それなりに自信のあった中間テストの結果は散々でした。

直前の日曜日は、それこそ、缶詰になって勉強しました。

それでも、クラスの半分以下・学年でも半分以下、という順位を見て、震えるしかありませんでした・・・。

奇しくも、隣のクラスになったデキル、という評判の従弟はそれなりに順位が良さそうだ、というのが耳に届いてきました。

みんな、ちゃんとやっているんだな、という思いと、小学生の時に真面目に勉強をする努力をしていればこんな結果にはならなかっただろうに、という嘆きが入り乱れました。

現実突き付けられて、成績表を渡された日はトボトボ夕日を浴びながら帰って行ったのをよく覚えています。

 

ところで、私が当時住んでいた街は(高校生時代に道路工事の立ち退きで引っ越すまで)、市内トップクラスの中学校の学区でもありました。

古くからある市街地なので、今振り返ると、貧富の差はけっこうあったと思います

ウォーター系の仕事をしているシングルマザーの家。

夜は母親不在なので、そこの息子たちは見事な不良に成長していました。

姉妹とも中卒の家もありました。

 

その家庭が、代々中卒のようで、高校進学=お金がかかるという発想があったらしいです。

同級生だったそこの妹は、ほとんど勉強していませんでした。

だからと言って、ありがちな不良でもなく、とても不思議な感覚で接していました。

 

私の家もそれほど変わらない位、貧しい家庭環境ではありましたが、親が進学に関しては真逆の考えをしていました。

さて、話を戻します。

今風に言えば、人気学区に運よく住んでいたわけですが、ちょっと勉強した程度では成績は上がりません。

25年以上前の地方都市でも、俗に文教地区と呼ばれる地域では中学2年の秋以降から通塾する生徒が一気に増えました。

 

受験学年の時点では、クラスの3分の2は通塾していたと思います。

勉強する子が浮く雰囲気でもなかったのが、私には幸いしました。

ちなみに、私はやはり台所事情で通塾することなく中学生活は終了しました。

中間テストの成績に関して、母は一言も発っしませんでした。ホッ、としたのもつかの間、今度は6月の帰宅時に事件が起きました。

 

見覚えのない大きな封筒

梅雨が迫りくる6月。

強烈な西日を真正面から受け止めながら、私が帰宅すると、コタツの上に大きな封筒が置いてありました。

「チャレンジ、頼んどいたから」

(聞いてないよ~)

有無を言わさず、私に封筒を渡すと台所に姿を消してしまいました。

期末テストは、前回のようなことにならないように、という無言の圧力が恐ろしかったです。

 

塾に比べれば費用は安いかもしれませんが、これも立派な教育費です。

一時期の危機は脱してはいるものの、やりくりが大変な中、母親として出来ることをしたのでしょう。

台所に立って忙しく夕飯の支度をしている母の背中をみて私は決心しました。

昭和30年代の子供の気分で取り組むことを決意した瞬間でした。

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