貧乏人=バカなのか?
経済格差=学力格差と言われる昨今。
たしかに、その説は正しい面を持っているものの、正しくない部分もあります。
親の所得差以上に問題なのは、親が教育に対して熱心かそうではないかの方が子供の学力への影響が大きいと自分の経験からそう確信しているのです。
町内で地域No1の高校(男子校・女子高がトップでした)に進学したのは町内で1,2位を争うお金持ちの家の子供達。
そして、貧乏仲間だったM家が夜逃げしたので、繰り上がりで町内No1貧乏になった私たち4姉弟だけでした。
母によれば、その事実に町内の人々は口にはしないものの驚きを隠せないでいたそうです。
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高卒が当然だった時代
父も母も高卒ですが、それは私の親世代では当たり前のことで、中卒の人もゴロゴロいる社会でした。
けれども、二人はこの先学歴と言うものが重要になると思っていたそうです。
父は大学進学を夢見て、親に内緒で商業高校の進学クラスに在籍していたものの発覚
↓
店の跡継ぎだから、と親戚会議を開いて説得&断念させられ・・・。
母も、短大か今でいう専門学校に通う予定でしたが、学費として貯めていたお金を父親の負債返却に回されたと。
父は無口なので自分の辛い過去は口にしませんでしたが、母は事あるごと上記の苦い思い出話を口にしていました。
大卒、パソコン当たり前!!、と言われ続ける
これからは大卒が普通の世界になる。
お年玉は全部貯金し、大学生になったらパソコンを買いなさい。
中山まち子 小学生時代に母が語る(バブル期)
これは鮮明に覚えていますね。
なにせ、パソコンなんて一般家庭に普及する10年前のことですし、そもそも勤め人でさえパソコンに触る人なんてそうそういなかった時代。
もう少し大きければ、そんなの絶対あり得ないと反発していたかもしれません。
7歳~9歳の間に何度も耳にしたこの言葉のおかげで、公文の宿題もまったくしなかった私が、そうか、自分は大学に行くんだな!!という超プラス思考&自己解釈をして育ちました。
今からすると、とんでもない楽天家。
ワープロが主流の時代にパソコンなんて得体のしれないものでした。
大学に進学するような人は必ず使うものなんだな、という発想ですんなりと自分の心に入り込みました。
父は昔の父親の多くのように、子育てには一切関わりをもたない人間。
ですから、私の子供時代の勉強話に絡んでくるのは100%母親です。
母は、お金がないのに自分が進学できなかった悔しさを子供たちに味わってもらいたくないという強い信念を持っていました。
これからの社会で必要となるであろう学歴を、なんとか与えようとしていました。
当時は今以上に学歴による所得の差がはっきりしていましたしね。
女子でも大学に行き、稼ぐ力のある男性と知り合い、結婚してほしいと娘の将来を案じていたのでしょう、おそらく。
ピアノや水泳など経済的余裕がある家庭がやる習い事は一切やりませんでした。
ちなみに近所の女の子でピアノを習わなかったのは、我が家の姉妹くらいです。
あとは、夜逃げしたお宅のお姉さんでしょうか。
習い事は公文のみ
その代わり、公文の算数を小学1年生から4人とも通わせました。
私も通っていた公文の先生が引っ越しによる閉鎖になる3年の年度末まで通いました。
おかげで計算力はつきました、計算力だけはネ。
国語は勉強するものではない、というスタンスを母がとっていたので、公文ではやりませんでした。
漢字や語彙は自力でやるしかありません。
しかし、ドリルのような単調なものは全く面白いと感じられず、学校の宿題もよくすっぽかししていました。
小学4年の時にクラスで自主勉強表なる、迷惑極まりないものを張り出された時は、女子で唯一シールを貼っていないのは私だけ。
授業参観の時にそれを母が見てしまい、帰宅後雷を落とされました・・・。
貧乏一家は図書館で読み放題!
どうやって文章や言葉・漢字を身につけられたのか。
それには秘密があります。
貧乏な我が家は毎週日曜日に遠出する代わりに、市立図書館に行きました。
これは読書好きな母が唯一現実逃避できる本の世界に没頭できるので、子供たちを巻き込んだ形。
一番古い図書館での記憶は、幼児コーナーでうさこちゃんことミッヒーの文字なし絵本を眺めている場面です。
おそらく、4歳くらいでしょうか。多分、それ以前にも訪れていたのでしょう。
その部屋を我が物顔で歩き、絵本を選んでいるのをよく覚えています。
次は幼児向けの絵本コーナーでバーバーパパを大量に借りている記憶があります。
それは年長くらいでしたね。
母はよく、借りてきた紙芝居を寝る前に読んでくれました。
どんなにクタクタになっていても。これには感謝の言葉以外見当たらないくらい感謝しています。
自分が親になり、子供に本を読んでとせがまれた時、よほどのない限りは要望に応えてきました。
これも自分の母親を見て育ったからですし、彼女の行為によって私は本好きになったのは事実だからです。
近所の幼馴染で、これくらい頻繁に図書館通いしていた子は一人もいませんでした。
小学生になってからは更に読書魔に
母はいつも小説コーナーに張り付き、私が就学すると児童コーナーには顔をださなくなりました。
完全に野放し状態・笑。
こうなったら自分の気になる本を好き勝手に読むしかありません。
学校の怪談系や歴史の学習漫画に占い系、トランプゲームに野球選手図鑑。
まぁ、親がベッタリくっついていたら手に取りにくい本の数々を読み漁りました。
低学年→高学年と成長していくと、若干読みごたえのある物語にを手にするように。
小学4年から読みだしたのがシャーロック・ホームズシリーズ。あとはアラン・ポーの黒猫です。
日本のものだと、相変わらず歴史・学習漫画中心でしたが、読書のレベルアップは着実に進んでいきました。
家にあってよく読んだのが、歴史の学習漫画です。
図書館からも良く借りてきましたが、家にあったのは平安時代まで。
全巻揃えると、それなりの値段になるから、母は途中で買うのを断念したのでしょうか。
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縄文時代~平安時代は妙に詳しくなりました・笑。
狭いながらも本で溢れていた家
家は乱雑だったもの、学研の雑誌や絵本が並んでいました。
保育園児時代にアンパンマンを読んだ記憶があります。その頃からカレーパンマンが好きでしたね~。
時折、母が本を買い与えてくれたり近所の人のお下がりの伝記集や若草物語・足長おじさんなどの名作が目の届く(狭いのでどんな場所においても目に届きました・笑)範囲に置いてありました。
これもすべて、母の読書好きと本を読む習慣があればそれなりに学力がつきやすいだろう、との考えがあっての行動だったそうです。
(私には出産後、必ず子供に絵本の読み聞かせはするように、とキツク言われました。
ハイ、守りました。おかげで現在3人は確実に本の虫になっています)
幼馴染の家に遊びに行っても、綺麗な家で自分の部屋もあったりしましたが、我が家ほど本が並んでいる家はありませんでした。
それもなんだか不思議な感じだったですね。なんで本が少ないんだろうと。
読書とは別問題のアルことで苦戦した講師時代
小さい頃からの読書の賜物で活字への抵抗がありませんでした。
た・だ・し、文法や難易度の高い四文字熟語や慣用句(中学受験の勉強でよく出題されるような)に関しては普通の読書では接する機会がほとんどないので、仕事を始めてからは自習したりとなかなか苦労しました・笑。
勤務地が地方都市の郊外だったこともありますので、難易度は高くはありませんでした。
しかし、文法や語句問題だけは読書習慣のみでは解決できない、と痛感しましたね。
まとめ
読書習慣があれば、多少の経済ハンデは覆すことができる!、と信じています。
子供を出産してからは、豆に図書館に行き大量の本を借りています。
けれど、知り合いのママさん方を見ていても、図書館で本を借りるという習慣はほんの一握りのようです。
習い事に精を出すよりは、本を読んで教養の下地や語彙力を豊富にさせることの方が重要なのでは、と感じています。
経済的に不利な家は、図書館という無料で読み放題という素晴らしい恩恵を受けない手はありません。
刺激を受けると、好奇心旺盛な子に育ちますし新しい情報に対して、もっと知りたい!、と自分から調べたりするようになります。
本人のやる気がないのに習い事をダラダラ続けるよりは、図書館に行き本を読むことに時間を投資した方がよほどいいですよ。